人間国宝 桂米朝さん死去 享年89。
毎日新聞 2015年3月19日
戦後の上方落語復興の立役者で、落語家として初めて文化勲章を受章した人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため亡くなった。89歳だった。通夜は24日午後6時、合同葬は25日午前11時、大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館。葬儀委員長は米朝事務所の田中秀武会長。喪主は長男で落語家の桂米団治(中川明=あきら)さん。
1925年、中国・大連生まれ。現大東文化大在学中に落語評論家の故正岡容(いるる)氏に入門した。だが、演じ手が少なくなり、存亡の機にあった上方落語界の現状を見て、評論家としての道には進まず、自ら演じ手になろうと決意。47年、四代目桂米団治に入門し、「四天王」と呼ばれた六代目笑福亭松鶴さん、五代目桂文枝さん(いずれも故人)、三代目桂春団治さんと共に上方落語界を復興した。
古典を現代にマッチさせるため、細部に工夫を凝らした“米朝落語”は「わかりやすい」と定評があり、幅広い層の人気を集めた。一代で大きくした米朝の名で生涯を通した。
弟子の育成にも熱心で、月亭可朝さん、故桂枝雀さん、桂ざこばさん、故桂吉朝さんら多くの人気落語家を育てた。長男明さんも落語家として活躍し、2008年10月には小米朝改め、五代目米団治を襲名した。
落語研究の分野でも、埋もれていたネタの発掘、再演や文献研究などに功績を残した。著書に「落語と私」「上方落語ノート」「米朝ばなし・上方落語地図」「米朝落語全集」(全7巻)など。能、狂言、文楽、歌舞伎など広く上方の芸能文化への造詣も深かった。
関係者によると、米朝さんは今年1月下旬、一時体調が悪化したが、その後は回復し、この日も夕方まで入院先の病室でテレビを見るなどして過ごしていたが、容体が急変したという。
紫綬褒章、芸術選奨文部大臣賞などを受章(賞)。96年に、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、02年には文化功労者。09年、落語界では初の文化勲章を受章した。
桂米朝師匠が亡くなった。昨年の6月には奥さんである元女優の中川絹子さんが心不全で亡くなられ、気丈な様子で車椅子で通夜に顔を見せたという。米朝さんは2013年に肺炎で救急搬送され入院治療を受けたが、その後容態は安定、今年になり一時悪化したがまた回復していたというが急変したようだ。上方落語の復興に尽力した功績はもちろん、自身落語家としても高座での姿は分かりやすいリズムの中にも重鎮らしく風格や深みのある姿、話ぶりが印象的だった。奥さんを亡くされて気落ちされたのだろうか?心よりお悔やみを申し上げます。
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