五輪2大会連続金メダル、柔道・斉藤仁さんが死去 54歳 だと?
2015/02/15
五輪2大会連続金メダル、柔道・斉藤仁さんが死去 享年54
スポニチアネックス 1月20日(火)
84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の柔道男子95キロ超級で2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁氏が20日、東大阪市内の病院で亡くなった。54歳。全日本柔道連盟などが明らかにした。青森県出身。
通夜、葬儀の日程は未定で、後日全柔連が発表する。
13年に胆のうを患い、闘病生活に入っていたが昨年夏に体調を崩し、年末には病状がさらに悪化、肝内胆管がんで帰らぬ人となった。
1961年青森市生まれ。83年、国士舘大学卒業後、同大助手となりモスクワ世界選手権無差別で優勝。84年のロス五輪で95キロ超級で優勝し、金メダルを獲得した。国内では山下泰裕氏(現全柔連副会長)の好敵手として激闘を繰り広げ、体重無差別の全日本選手権は83年から3年連続決勝で挑んで敗戦。88年に同選手権を制し、同年のソウル五輪で個人としては2度目、この大会日本柔道唯一の金メダルを獲得した。
引退後は国士舘大教授となり、04年のアテネ五輪、08年の北京五輪では日本男子選手団監督を務めた。その後、全日本柔道連盟の強化委員長となり、13年には女子日本代表幹部のパワーハラスメント問題に携わり、柔道界のモラル確立を目指していた矢先に病に倒れた。息子へ最後の言葉は「稽古、行け」
「稽古、行け」。それが最愛の息子たちにかけた最後の言葉だった。前日19日の昼、容体の良くない斉藤氏に妻三恵子さん(50)が声をかけた。「今日は稽古休ませる? 子どもと一緒にいる?」。斉藤氏は力を振り絞って「行け」と言った。「それが最後ですね」と三恵子さん。厳しく、優しく、いつも柔道一直線だった斉藤氏らしかった。(日刊スポーツ1月20日)
若いのに残念だ。2013年の女子柔道パワハラ騒動で、当時の園田監督の暴力行為を知りながら強化委員長として続投を決定しており、それについて反省の弁を述べている。この部分ではパワハラを擁護していたととられかねず、それを挽回する意味でモラル確立へと取り組んでいたのだろう。その、渦中の2013年に、胆のう周辺に腫瘍が見つかり闘病生活に入っていたという。世界柔道を制した男も悪性新生物には勝てなかったようだ。ご冥福をお祈りします。
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