「ひょうきん由美」フジ女子アナ初の定年
ニッカンスポーツ 2015年2月25日
1980年代にクイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」で、「ひょうきん由美」と親しまれたフジテレビ益田由美アナウンサー(60)が、今月28日付で定年退社する。入社から37年11カ月、同局の女性アナウンサーとしては、初めてアナウンサーのまま定年を迎える。
益田アナは、今月11日に60歳になった。白髪は交じるが、声の張りはあの頃のままだ。「私の前の世代では、フジの女性アナは8年が最長でした。長く勤められる雰囲気じゃなかったんで。まさか37年11カ月もできるなんて」。リポーターとして入社試験を受ける
アナウンサー志望ではなかったが、大学の就職課に「フジテレビ リポーター募集」の紙があり、入社試験を受けて合格。5年目に転機は訪れた。
81年10月、愛川欽也、楠田枝里子司会のクイズバラエティー「なるほど-」が始まった。世界と日本各地の話題を現地リポートとクイズ形式で紹介する番組で、益田アナは「ネパールに行くタレントがいない」理由で起用された。1人きりで航空機を乗り継ぎ、取材リポートを済ませ、帰国した。「これで、あいつは何をやらせても大丈夫という評価が付いてしまった(笑い)。最初の年は10日も休めませんでした」。
体当たりリポートが受けた。83年11月からは18週連続で視聴率30%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を超えた。最高視聴率は36・4%。「寝ない、食べない、休まないは当たり前。四十数時間かけて1人で中南米に行ったことも。すり傷、切り傷、打撲はしょっちゅう」。だが、世界69カ国を回ったツケで、椎間板ヘルニアと頸椎(けいつい)ヘルニアを発症した。88年3月で降板し、6カ月の休職で治療。「なるほど-」は96年3月まで続いた。
その後は自ら番組を企画し、出演するようになった。94年4月からは「ニュースJAPAN」で金曜日のコーナー「リバーウオッチング」を、同年10月からは「晴れたらイイねッ!」を手掛けた。07年10月からは、BSフジ「なるほどザ・ニッポン」で、日本の自然をリポートした。
「ずっとリポーターの仕事を続けられたのは幸せ。これからは、ゆっくりして、フリーの後輩がたくさんいるので相談してみます。『なるほど-』は、ゴールのない全力マラソンだったけど、やめてゆっくり歩くようになって、日本の自然が見えてきた。これからも日本の自然をお伝えできたらいいですね」
第2の人生もマイクは手放せない。【小谷野俊哉】
ある程度のお年の方ならレギュラー番組時代の「なるほど!ザ・ワールド」は記憶にあるだろう。とにかく当時は数字通りの面白さだった。ニホンテレビ界の海外レポートモノでは「兼高かおる」に始まって、1981年この「なるほど!」でクイズを絡め、1984年にはTBS、テレビマンユニオンによる、よりネタを本格的に掘り下げた「世界ふしぎ発見!」と、どの局もそこそこ面白い長寿番組が続いている。時期も良かったし、クイズと外国文化を現地でレポするというテレビの特性をフルに活かした企画が当たったのだろう。長寿番組だけあってエピソードも多く、1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故の翌日8月13日の放送分の「200回記念」の収録には、ジャンボ機に乗っていた坂本九夫妻も出演していたが、番組開始冒頭から事前収録であることを示すテロップを入れてそのまま放送された。そして番組の最後に、敢えて放送に踏み切った経緯を文章で説明するとともに、締めくくりとしてブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントを寄せた。しかし、オンエア翌日の8月14日に死亡が確認され、この願いは叶うことはなかった。(奥さんの柏木由紀子さんは事故機には乗っていなかった)。「恋人選び」などの名物コーナーや、淡々と進行する日テレをやめてフリーになったばかりの楠田枝里子、愛川欽也が回答席を叩いてアウトを宣告したり、トランプマンというキャラクターがレギュラーになったりとエピソードは数多い。同番組を担当した名物Pの王東順に引っ張りだされたらしいが、その体を張ったリポートは女性局アナのバラエティ化の先鞭を切っていた存在だった。。定年まで務め上げたのは、玉の輿狙いの腰掛け女子アナが多い中、ある意味貴重な存在かもしれない。ともあれお疲れ様でした。
益田由美(ますだ・ゆみ)
1955年(昭30)2月11日、東京生まれ。
77年早大第一文学部を卒業後、フジテレビ入社。
報道局開設放送室(リポーター)に配属され、81年編成局アナウンス部。
94年に「なるほど-」の海外取材ディレクターだった5歳下の男性と結婚した。血液型B。
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