後藤さん殺害事件で「あさイチ」柳澤キャスターの珠玉の1分間コメント
Yahoo NEWS 2015年2月2日
若者言葉ならば「神コメント」と言うのだろう。
偶然、テレビからそんな言葉が聞こえてきた。
NHKの「あさイチ」で、メインキャスターの有働由美子、井ノ原快彦の2人の横でどぼけたオヤジギャクを時折飛ばす柳澤秀夫解説委員。ふだんは温厚で駄洒落好きのちょっとズレた中年男性という役割で発言するが、今朝は冒頭から違った。
有働、井ノ原の「朝ドラ受け」をさえぎって、以下のようにコメントしたのだ。「あさイチ」を見ていなかった人のために、あえてその全文を書き写してみた。
「冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、
ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ・・・。
僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。
戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。
それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない・・・。
われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。
それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。」時間にすれば、わずか1分あまり。
実は、柳澤秀夫氏は1990年から91年にかけての湾岸戦争当時、数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残って、レポートを繰り返した国際畑では伝説的なテレビ記者だ。
アメリカを中心とした多国籍軍が空爆した後の様子をイラク当局が検閲するためにあえて英語で伝えた記者レポートは各局のテレビ記者たちの間で語りぐさになったほどだ。
私自身も柳澤氏にはるかに及ばないが、湾岸戦争やイラク戦争などの悲惨さを取材したことがあるので、今回の後藤さんの事件を受けた彼の思いは痛いほど伝わってきた。
後藤健二さん殺害を伝えるビデオメッセージで「イスラム国」側が、今後も日本人を標的にすると宣言したことで、急に各社のニュースが「「日本人の安全」をや「テロとの闘い」をめぐってザラついたものになっている。
柳澤氏が指摘するように、「後藤健二さんが本当に望んだことなのか」が疑わしい雰囲気が一気に訪れている。
どうか、柳澤氏の上記のコメントを、かみしめて読んでほしい。NHK、民放を問わず、スタジオのコメンテーターは掃いて捨てるほど存在する。
私自身もだいぶ以前、テレビのコメンテーターを務めた経験があるが、大きな事態に、大事だと思うことを、適切な言葉を選んで視聴者の心に届くように話すということは簡単にみえて、実際にはとても難しい作業だ。番組の限界や局の限界もある。
だが、コメンテーターにとって本当に大事なことは、こうした節目の事態にこそ、きちんとした「見識」を示すことだろう。
後藤さん殺害の後で、今、テレビに求められているのは、この事件をどう受けとめるべきなのかという「解釈」をきちんと示すことだと思う。
柳澤氏は、ジャーナリストとしての長い経験に裏付けられた見識を示した。
柳澤氏と同じようにジャーナリストとして紛争地の周辺を取材した人間として、柳澤氏や後藤さんの胸中を想像して、思わず涙が出るほど、心に響くものだった。
番組の冒頭からあえて発言した柳澤氏の勇気をたたえたい。
「われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは・・・。」
柳澤氏のこの言葉の意味は重い。NHK、民放ふくめてテレビに出演している人たちだけなく、あらゆる人たちが今問われていることだと思う。
水島宏明 | 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター
犬HKの中にも気骨というか、本来のジャーナリズムのあり方を語れる人物がいた。軍事利権屋には苦々しい発言だろうが、この事件を捉えてそれ武装だ、それ警備力の強化だ、警察力の拡大だ、などと火事場泥棒のようにうごめく連中には、このような見識は理解すらできないだろう。ここであえて発言した柳沢氏のテレビ屋としてのジャーナリストとしての姿勢に敬意を表したい。
柳澤秀夫 プロフィール
1953年9月27日(61歳)。
福島県立会津高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1977年入局。
横浜、沖縄各放送局記者を経て1984年から外信部記者。
バンコク、マニラ各特派員、カイロ支局長を歴任し、カンボジア内戦、湾岸戦争などを取材した。
湾岸戦争時には西側諸国の特派員としてイラクに残ってレポートを繰り返した「伝説的なテレビ記者」だった。
2000年に解説委員に就任し、中東情勢を担当。
9.11テロ事件、イラク戦争などの影響により中東情勢に関するドキュメンタリー番組や討論番組に頻繁に出演する。
『ニュースウオッチ9』を担当していた2007年10月31日、肺癌を患い降板、1年余りに渡って治療に専念していた。
その後体調が戻ったこともあり、2009年から解説委員室が関わる番組に再び出演している。
当初NHKの広報は肺癌ではなく単に「肺疾患」としていたが、
不定期の出演番組が主体となって制作した2012年11月18日放送の『NHKスペシャル』で自ら初めて触れ、
それが肺癌だったことを明かし、自らの闘病体験を基に日本の癌ワクチン研究・開発に対する意見を述べた。
2012年6月15日付で、NHK放送総局解説委員長に昇進。その後、解説委員に戻っている。
少年時より機械工作などを趣味にしており、秋葉原ラジオ会館に部品探しのために通っていた。アマチュア無線も趣味にしており、マイクロ波と呼ばれる周波数は47GHz(47ギガヘルツ)で出力はごくわずかで、10ミリワット前後で交信している。難しいマイクロ波での交信を自作の無線機でしている。大好物はマヨネーズで、取材現場に持っていくこともあった。嫌いな物はミョウガ。